社長プロフィール
こんにちは!愛媛県新居浜市の、“ひと手間かけて”あなたの夢を叶える工務店の和田吉仁(わだよしひと)です。
お客様から直接依頼され、お一人お一人の顔が見える仕事によろこびを感じています。
お客様と友達のように親しくなり、顔を付け合わせながら、楽しく仕事をすることで、人のよろこぶ【笑顔】を見ることが、わたしのなによりのしあわせです。
なぜわたしが【笑顔】を使命と掲げているのか?
そのワケを聴いていただけますか?
家を継ぐ・家を守る
わたしの実家は、高知県土佐郡の山あいの農村部にあります。急な山の斜面に小さな棚田が点在する人気のない所で、
バス停まで歩いて1時間という山奥の田舎です。
父は、12代目として、農家を継いでいました。長男が「田舎はいやだ」と村を出て行ったため、次男である父が、
「やりたいことあったけど、仕方ない」と継ぎました。
仕事一筋で、無口な父にとって、「家を継ぐ」ことは、宿命でした。
「なにかあったら、ご先祖様に申し訳立たない」というのが、母の口ぐせでした。
与えられたことは、いつも黙々とこなしていました。
「これがじいちゃんのお墓。
これがひいじいちゃん。
これがじいいちゃんの子ども」
と、母は、ひとつひとつわたしに教えながら、80個あるご先祖様のお墓を丁寧に掃除していました。
母がそんな風に語りかけてくれるので、わたしもおじいちゃんたちがそこにいるような気がして、楽しくお墓掃除をしたものでした。
責任感が強い母にとって、かたくなに「家を守る」ことは、一番大きな責任でした。
小学校5年のとき、農業だけでは食べていけない父が高知市の鉄工場へ出稼ぎに出て行きました。母は、父の不在のときも、つらいところや感情を見せず、
くつろぐこともなくいつも動いていました。
そんな母の姿を見て、小さいながらも、
「かあちゃん、えらいなあ」と思った
のです。
「やりたくてやったワケではない」
15才になったとき、高校進学を控えていたある日、いつもは無口でめったに話をしない父が一言いいました。
「おまえ、手に職をつけえ。食いっぱぐれないから。」
父は、兼業農家で農業1本では生活できない状況でした。そのために兼業でできる仕事を持っていると生活に困らないという親心からの言葉でした。もうひとつは、口には出しませんでしたが、農家を継いで欲しいという気持ちからだったのでしょう。
友達の多くが進むこともあり、また親戚に大工さんもいたため、国立全寮制の職業訓練校の建築科に進学するようにすすめられました。
わたし自身は、スピカーやステレオいじりをするのが好きだったので、建築科ではなく電気科に行きたかったのです。行きたくて行った選択ではありませんでした。
高校を卒業すると、高知市の大工の親方のところに就職しました。親方の作業場の2階にある、学生アパートでの初めての1人暮らし。飼い犬が解き放たれたように、高校のときの友達と最初は喫茶店。次に飲み会。わたしは、すぐに「来い!来い!」と言っては人を集め、友達が友達を呼ぶという風に飲み会の仲間がどんどん増えていきました。そして、友達10人くらい集めては、実家に連れていき、母の料理でもてなすことが、とても楽しみでした。
そんな楽しい日々を過ごしていた20才のとき。愛媛県新居浜市で大工をしている叔父さんから連絡がありました。
「忙しいから、手伝いに来てくれるか?」
親方にはお断りをして短期間のお手伝いのつもりで、愛媛に向かいました。
ところが、ほんの少しだけのつもりが、ズルズルと長居。結局、両親が、高知の親方に頭を下げて辞めさせていただきました。
愛媛県に行っても、すぐに友達はできました。
時間があれば友達と飲み歩く日々。
友達と楽しい時間を過ごすことで、なにか発散できる!そんな時代でした。
七輪一つで二人で語り合っていた
27歳のときに、友達からの依頼の仕事の方が多くなり、叔父さんのところから独立しました。
30歳のときに、ハウスメーカーから住宅展示場一棟まるまる作る依頼がありました。多くの大工さんは仕様が細かく手間がかかるために、誰もやりたがらない仕事でした。
毎日夜中まで、マニュアルを読み込む中で、今まで親方から「体で覚えろ!」と叩き込まれたことが、その時になって初めて自分のものとして身になった感覚を覚えたのです。その甲斐あって、
一棟やっと完成することができました。
完成して、やりつくしたという初めての感動が込み上げ、
「やっぱり、自分は建築の仕事が好きなんだ。」
と強く思ったのです。
そして、どんなことも“手間をかけて”トコトンやり抜けば、「次なにがきてもできるな!」というすごい自信となったのです。
31歳のとき、25歳のときから入っていたソフトボールチームのキャプテンのⅯさんから声をかけられたのです。
「家を建てようと思ってるんやけど、和田に頼もうと思ってたんや」
Ⅿさんは、ご自身がタイル屋さんで多くの大工さんを知っているにもかかわらず、わたしに声をかけてくれたことに、とても感激しました。ハウスメーカーの展示場建築の仕事の様子を見ていてくれたのです。
Ⅿさんのご自宅の工事が始まると、現場を見に来たⅯさんと冬の寒い中、七輪ひとつで語り合っていたことが今でも鮮明に記憶に残っています。Ⅿさんと将来のことやⅯさんの家の夢などについて語り合いながら、ひとつひとつ作っていくのが楽しかったのです。
Ⅿさん
「ここはこうしたいんやけど、どうなん?こういうのを欲しいんやけど、どうする?」
Ⅿさんの想いや夢を全部聴いて、「こうして欲しい!」ことは、必ずなんとかしようと一生懸命にやりました。
Ⅿさんは、今でも会うたびに、こう言います。
「和田くんは、すぐにできないとは、絶対に言わん。こちらの要望を叶えるためになにか解決策を見つけてくれる。」
ある日、Ⅿさんの奥さんが口にされた言葉がとても印象に残っています。
「うちの主人、酒も飲めないのに、いつも
ベロベロになって帰ってくる。よっぽど、
和田さんとお話しすることが楽しいんやね。」
このⅯさんのご自宅を建てた経験が、
わたしの原動力となったのです。
「顔が見えない仕事、するもんじゃない」
40歳のころ、友人からの紹介で大手建設会社の下請けの仕事が増えました。頼まれると、「できません」と言えない性分のわたしは、気が付くと複数の現場を掛け持ちで監督していました。
その内、わたしの中で、現場のことがこんがらがり、指示間違いや指示がうまく伝わらないという事態が起きるようになったのです。
わたし 「言ったこととちがう」
工事業者の人 「言われた通りにやったのに、違うと言われても困る。」
そんなやり取りが頻発するようになり、「あそこの現場監督、言ってることとちがうぞ」という噂が立つようになりました。
お互いに責任を擦り付け合い、いままでは仲間としてやっていたのに、関係にヒビが入るようになったのです。
また、大手建設会社の責任者からは、図面通りに仕上げたのに、「柱の向きがちがう」と頭ごなしに言われたことがありました。わたしは、「この柱の向きはこうですよ」と話しましたが、筋が通らない。技術はあるのに、下請けだからと、下に見られて悪者にされたことが、悔しくてたまりませんでした。
そして、わたしは、現場で、どんどん孤立していったのです。
ある日、わたしは、このままじゃだめになると強く思いました。
「仕事量が多ければいいというものじゃない。
縛られたままで、やりたくてやっていない仕事を受けてはだめだ。」
わたしに欠けていたものは、やりたくない仕事を断る勇気。こころからやりたいことをやる勇気だったのです。そして、わたしが、心からやりたい!と思ったのは、直接、人のよろこぶ顔が見える仕事をしたいということでした。
このことに気づいて、わたしはある決断
をしました。
「これからは、直接、人のよろこぶ顔が
見える仕事をしよう!」
そう決断し、大手建設会社の下請けをすべて断り、直接、施主さんから依頼される仕事のみすることに決めました。
和田吉仁の使命
わたしは、いま50歳半ばに達する年齢に差し掛かっています。わたし自身のこと、会社のことを、じっくり見直す時期にきていると思っています。
そんなときに、わたしの仕事の原点であるⅯさんに、原点の再確認という意味で会いに行きました。
開口一番、Ⅿさんの奥さんがお話になりました。
「そう、あのとき、この人は、『建ててもらうなら、和田くんだから』と決めていたの。わたしが口をはさむ余地はなかったものねぇ(笑)」
そして、わたしの仕事っぷりについて、Ⅿさんが、
「和田くんは、できないとすぐには絶対言わない。話を全部聴いてくれて、両方がいいと思うところを細部にわたって詰めてくれるよね。」と。
さらに、
「聴いてもらえることが、安心につながっている。そんな安心感がある。」
「この家は自分たちの夢が詰まっている家。ちょっとしたことをひとつひとつ実現するために、手伝ってくれたよね。」
とⅯさんご夫婦が話され、お二人にこやかに笑っていました。
この言葉を聴いたとき、わたしは、涙が出てきました。そして、これが、自分の進む道なんだと確信しました。
お客さんと友達になり、顔を突き合わせて話し合いながら、“ひと手間かけた仕事”
をすることで、人のよろこぶ【笑顔】を見ることが好きなんだ。そう実感しました。
この体験から、わたしは、自分の使命を、人がよろこんで【笑顔】になっていただくことと掲げることにしたのです。
「和田くんに頼んでよかった。
こうして20年後もずっと付き合えるのが、うれしい。」
最後にこう言っていただいたⅯさんの言葉を胸に、これからも、人(=友達)の【笑顔】を見るために、“ひと手間かけて”よろこばれる仕事をしていきます。
Ⅿさん、大切なことを教えていただき、ありがとうございます。